Blog黒田院長のブログ
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2026.04.16
- 068 中村仲蔵
今日聴いていた音楽
Tom Waits ‘Blue Valentine’ 他
有り難い時代に生きていると私が実感するのは、八代目林家正蔵師匠の中村仲蔵、これがYouTubeに上がって無料で見聞き出来る時である。落語のくせして笑わせる箇所など殆ど無い、まあ〜何とも渋い噺なのだが聴き入ってしまう、この説得力は何だろうね。そりゃ名人上手が語ってるから当たり前と言っちまえばそれまでだが、いぶし銀と表現すべきなのだろうか、あの異常なまでの引き込まれ感は何なんだろう。
この噺が出来たのは江戸時代中期とされるが、娯楽の少ないその頃の庶民にとって最高の娯楽といえば多分歌舞伎芝居見物だった。それでも入場券はとてもじゃないが高くて滅多に行けなかったそうだ。時代によっても変わるが幕末期だと一般席が職人の日当四日分くらいだったらしいから今なら3万円は超えるだろうか、そりゃあ確かに滅多な事では行ける娯楽では無かったに違いない。だからこそ庶民には歌舞伎への憧れが有ったのだろうと想像出来るのは、この頃に産み出された落語の中に相当数の芝居噺が現存するからである。前述の「中村仲蔵」しかり、「四段目」、「淀五郎」などなど。その逆パターンってのも有って、人情噺の「文七元結」とか「芝浜」が舞台化されて現代に至るまで観客を楽しませてくれている。そう言えば今を去ること四半世紀ほど前、先先代の十七代中村勘三郎翁が左官長兵衛を演じた「文七元結」を歌舞伎座のかぶりつきで観た時、どうやら勘三郎さんお風邪を召していたらしく、舞台の上で咳とくしゃみを連発されていて唾が飛んで来たのは懐かしい記憶である、、おっとまた話が脱線したが、脱線ついでに言えばもしこの古典落語「文七元結」を知らない方がいらしたらぜひ一度聴いて欲しい演目である。個人的には最も完成された落語ではないかとすら思えるので。登場人物が皆生き生きとしていて楽しいよ。
地味だろうが華やかだろうが、何がツナ缶に引き寄せられる猫の如く私を惹きつけるのかと自らに問えば、言語化しようったって無理な「得も言われぬ」情緒だったりとか、裏に秘められた狂気に近いような作り手の拘りとか、営々と積み上げられた歴史の重みとか、やってる当人はおくびにも出さないのにだだ漏れてくる香気の様なもんである。例えばそうだな、成瀬巳喜男監督作品「浮雲」。今ならコンプライアンス的に一発アウトな映画だが、あの森雅之と高峰秀子が場末の安宿で炬燵にくるまってね。燗酒を啜りながらお互いを詰るでも無く、睦み合うでも無く、実にどうも色気の有る名場面だった。
最近は音楽すら初手の数秒でリスナーを掴まなきゃいけないのでサビを頭に持って来るそうだ。クラシック音楽は長過ぎて飽きてしまうから聴かない若者も多いと聞く。いやいや、何も音楽聴く時までタイパなぞ持ち出さんでも。分かりやすさと効率が何より優先される現代、還暦を超えた我々が昔を懐かしんでいるだけでは絶滅危惧種まっしぐらみたいだが、時代を超えて今も残っている作品の中にはやはり良いものも有るのですよ、という、そんな当たり前のお話。
