Blog黒田院長のブログ
2025.04.04
- 059 或る個展にて
今日聴いていた音楽
リベルタンゴ
ヨー・ヨー・マ 他私が愛蔵している写真集の中に、昭和の大写真家土門拳氏の「古寺巡礼」がある。深夜に酒を飲みながら、あのなんとも美しく力強く、とてつもなく恐ろしい仏像や宗教画の写真を眺めていると何杯酒を飲んでも草臥れず眠気も訪れず、五体にエネルギーが満ち満ちて来る気がするのは実に不思議なものだ。酒も肴も美味いと聞く山形県酒田市、彼の地に有る土門拳美術館にもいつか行きたいと思いつつまだ叶えられてはいない。
芸術繋がりで例によって話は脱線する。もう随分前になるが某県某市で開催されたある日本画家の個展に行って来た。丁度新年の仕事初め時期でも有り、個展もその日が初日だったのでテープカットの儀式つき。主催者である市のお偉方らしき4-5人の男性が一列に並んで居ずまいを正すなか、会場に画伯が入っていらした。礼服に身を包んだ周囲の関係者に比べ、一人だけ髪はボサボサ、スーツはよれよれ、ネクタイの結び目はあさっての方向に曲がっていてお世辞にもキチッとしていたとは言い難いのに、芸事一筋に打ち込んでこられた人物が醸し出す雰囲気は凛として他を圧していた。展示を見てまわりながら一点一点の絵について丁寧に、時にユーモアを交えて解説して下さった。画家ご自身に絵の意図を聞く、そんな好機は滅多に無いから私もぞろぞろとくっついて回っていたが、集団の後方でつまらぬ新年の挨拶なんぞを声高に交わしている連中が居て折角の画伯の説明が全然聞こえない。お前ら、それは今この場でやらにゃならん事なのか、ワシゃこの絵を描かれたご本人の話が聞きたいのじゃ、余程注意してやろうかと振り向いた途端、恐らく私と同じように迷惑を感じていたらしい隣の年配女性と目が合った。
「あの方、ここの市長さんなんですよ、うるさいですよね。」まるで市長の不始末が自分の責任であるかのようにばつの悪そうな顔でつぶやかれたのが可笑しくて怒りも淡雪のように溶けてしまった。ううむ、市当局のレベルは低いが市民の民度は高い。結局画伯の解説が始まってから終わるまで市長とその取り巻きは傍若無人な放言と笑い声でその場に居た聴衆の神経を逆撫でし続けた。市長があの調子では、成人式にチンドン屋の様な羽織袴で現れ、暴れてスピーチを妨害する新成人の若者を叱れないではないか。
「法隆寺さんから、所蔵している仏像のどれをどのように描いても良いと許可を貰っているのだが、いざそうなってみるとなかなか描けないものです」なんて画伯ご本人から訥々と語られた後に菩薩像を描いた大作を眼前にすると、何だか神々しさが一段と増して見えるから不思議なものだった。画伯の聖性と市長の世俗、市井の節度と公の傍若無人、ありゃまあ何てコントラスト。何にせよ滅多に出来ない体験をさせて貰った。