Blog黒田院長のブログ

2024.12.21

057 ヴォネガット

今日聴いていた音楽。

Imagine Dragons feat. ADO

Take Me To The Beach 他

「いやこのコラボレーション、かなり麻薬的快楽に満ちているよ。ADOの声が始まる瞬間のカタルシスが半端じゃ無い。」

 私の学生時代、米国知識人階級の学生が最も支持する作家はカート・ヴォネガットだったと聞いた。自らドイツ軍に捕えられた捕虜としてドレスデン爆撃の地獄を体験したドイツ系アメリカ人の彼は生涯で数々の傑作を遺した作家だが、権威や体制に常に批判的な目を向け、驕り高ぶった人類にちょうど良い冷たさの氷水をぶっかける天才だったと思う。彼の代表作は数有るが、個人的に最高傑作と思うのは「猫のゆりかご」だろう。全ての水を凍らせてしまう「アイス・ナイン」という物質がもたらす世界の滅亡を、ヴォネガット独特の饒舌でシニカルなユーモアと凄まじい文学的教養に裏打ちされた強靭な精神で描いている。私はあの本を読んだ当時、もし人類の滅亡が来るならこの作品に出て来るボコノン教という架空の宗教とカリプソのもたらす熱狂のうちに終わるのかな、まあそれはそれで幸せな終焉なのかとも一抹の寂しさと共に想像していたものだ。
 大体世界の終末を描く作品というのは重要で普遍性有るテーマだけに古今東西の天才、名手の作家が本気を出していて傑作名作目白押しなんである。例えばそうだな、ネヴィル・シュートの小説をスタンリー・クレイマー監督が映画化した「渚にて」なんてヤバかった。核戦争で地球の殆どが壊滅した世界でほぼ唯一残ったオーストラリアに避難した人々が徐々に壊れていく様はオーストラリアの国民歌とも言えるワルツィングマチルダの旋律に乗って静かな恐怖を覚えさせたものだ。時が経つにつれて臨時政府からの放送を聞きに広場に集まる人々が少しずつ減っていく描写は、小説では不可能な映像ならではの表現でこの上なく恐ろしかった。ネタバレになるから書けないが、或る商品のとんでもないコマーシャルが入っていたりしたのですよ。核戦争の恐怖が一般人にとっても十分現実的だった1959年にこんな怖い映画を撮っていた連中も大概だが、翻ってわが国に目を転じると、明らかに「渚にて」に影響を受けている1961年東宝作品「世界大戦争」なんていうとんでもない作品もあったものだ。円谷英二率いる全盛期の東宝特撮陣が120%の能力を解き放った、全面核戦争で世界が崩壊するシーンは今見ても現代のCGにどっぷり浸かって大抵の特撮じゃ起き上がりもしない我々の目を改めてハッと覚めさせてくれる、、、おっと話がまた脱線した。ヴォネガットにもこれらの作品にも共通する送り手の視点はその多くが誰でも無い市井の一般人に注がれており、ヴォネガットの場合は一人称の主人公が時間旅行者だったり師と仰ぐリーダーに翻弄され尽くす大金持ちだったり滅茶苦茶にスラプスティックで数奇な人生を歩むのだが、それでも作者が注ぐ目線はシニカルでありながら妙に温かみが有って優しかったりして、それがひねくれた我々読み手からすれば結構癖になったのだ。
 世の中がなべて口当たりの良いマシュマロか舌の上でとろける和牛ビーフの如く、毒気も害意もオブラートに包めばあら不思議、我々の側に読解力が無ければ真意を汲み取れずに「意外と美味しいよね」なんて体内に入れてしまいかねない言説の真贋を見分けるリトマス試験紙として、何を信じたら良いかを見失っている現代の人にこそ私はヴォネガットを読めと勧めたいのだ。