Blog黒田院長のブログ

2024.09.17

055 LGBT

今日聴いていた音楽

‘I・G・Y’  Donald Fagen 他

私は今から20年ほど前、心が女性で肉体が男性という人達の医療相談に関わっていたことが有った。私の友人が東京都議になって、彼がライフワークとしていたプロジェクトに医療者として携わるよう依頼されたからだ。さあ、1年ほどの間で40−50人くらいの、心から女性になりたい肉体的男性の医療面の相談に乗っていたと思う。何故1年ほどで私が手を引いたかと言えば、正直な話続けるのが精神的にとても辛かったから、それに尽きる。何処やらのアジアの国で技術的にも衛生的にも怪しげな性別移行手術を受けて術後に亡くなったとか、「ようやく辛いホルモン治療が止められそう」と嬉しげに外来で話していた人が姿を見せなくなり数ヶ月後に自殺したと聞かされたり、どうやら夜中に酒を飲んで大型バイクをぶっ飛ばして事故死したとか、どうしてそうなるのだと膝をガックリ折るような事態が頻発したのだ。当時の私にはもう全く訳が分からず、恐らくその人々の心理に自分より精通しているだろう六本木のショーパブで働いていた、今では死語となったのかな、ニューハーフに助言を仰いだ。今でも鮮明に思い出すが、彼女は煙草を燻らせながら私に「アンタは医者のくせに何も分かっていない」と言った。多分彼女はうっすらと泣いていたし、私に対する怒りもこもっていたように思う。「何であの子たちがバカみたいに自殺とかすると思う? 綺麗になれたからよ。女になりたくてなりたくて、稼いだお金で永久脱毛しておっぱいこさえて喉仏と膝のお皿も削って、辛いホルモン注射して鬱になってお⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎も切って膣こさえてさ。そうやって念願の綺麗な女性になれたら、もうその先は無いの。人生の目的達成しちゃったのよ。」女性を装おうとしても隠しきれない彼女の野太い声でそう言われ、友人に頼まれて中途半端な気持ちで愚かにも首を突っ込んだ私はそれ以降彼女たちの人生に関われなくなって今に至る。
つい最近、私は「トランスジェンダーになりたい少女たち」という本を読んだ。反対派が焚書行動に走った問題の書だと聞いたが実際には至って真面目なルポルタージュだ。ジェンダーアイデンティティどころか、より包括的概念であろう「自分」というヒューマンアイデンティティすら確立されていない思春期前の小児に「あなたは男の子/女の子として生まれたけど、あなたの本当のジェンダーは無限の可能性があるの」などと言って混乱させ、周りの大人や医療者すら「あたかもその子が自分の肉体的性別とは違うジェンダーになれば今抱きかかえているあらゆる問題が解決する」かのように振る舞う、これが一体どんな「正しくて多様性に満ちた素晴らしい世界」なのだろう。意固地な頑固ジジイに片足を突っ込んでいる私にはどうしても分からない。ソクラテスに誓って患者の健康に貢献すべき医師たちが、思春期の子供に前立腺がんの治療薬に用いられる思春期ブロッカーのような薬品を投与して二次性徴の発現を遅らせる、あまつさえ大人でも辛い性転換手術を受けさせる、これを狂気の沙汰と言わずして何と呼んだら良いのだろうか。彼らは「小児に投与して問題が生じるというエビデンスは無い、それに必要が無くなればいつでも止められるから問題は一切無い」などと嘯くが、彼らの論理を逆手にとって「まだ観察期間が短すぎて、小児に投与して問題が生じないというエビデンスは無いから危険性を考慮して投与すべきでは無い」というのが自分の取るべき唯一の医学的立場だと思える。
 何故こんな事を書くかと自分に問えば、パリオリンピックの女子ボクシングで感じた違和感に1ヶ月経っても納得が得られないからだ。今更私が言うまでも無く、ボクシングが体重別で分けられているのは単純に体格差が有ると最悪死に至る危険なスポーツだからに他ならない。どう見ても筋骨隆々、男性の身体を備え男性染色体を持つとされた選手が自分の殴り倒した女性選手をドヤ顔で見下ろしていた、あの画像の背景をデジタル加工してマンションの一室にでも変えたらDV夫が奥さんを叩きのめして悦に入ってる構図ではなかったか。本当にオリンピックの主催者達はこれで良かったのか? 性分化疾患DSDの可能性を指摘していた識者も居るが、その様なレアケースなら尚更参加資格には慎重であるべきだったと私は思う。そもそも、いつも問題となるのはトランス女性を含めたMtF(男性が女性に)のスポーツ選手ばかりで、肉体的には女性のDSD患者が男性スポーツに参入する事例が無ければ擁護するに足る論拠に乏しくはないか。筋力増強の為に血中テストステロン値を上げる薬物をドーピング対象で厳しく禁止して、今度は生物学的男性が男性ホルモンを女性の基準値まで下げる為GhRh analogueを使う。抜きん出たい、生き残りたい、勝ちたいという人間の欲望には果てが無いと理解しつつも、こんな事がいつまで続くのだろうかと思う。
あの時アドバイスを仰いだニューハーフの顔は鮮明に覚えているが現在彼女の生き死にまでは分からない。生きていようぜバディ、とは思うが人生の選択は人それぞれであって大人にとやかく言うものでも無い。ただ、年端も行かぬ子供の自我形成過程、その感情の揺らぎにつけ込んで周りの自称専門家が寄ってたかってメシの種にする。そんな医療行為には断固として反対、現状の私はそんな考えでいる。