Blog黒田院長のブログ

2023.06.28

048 君は桂枝雀を今こそ見て、聞くべきだ

 
今日聴いていた音楽
バックナンバー 「ハッピーエンド」

 最近或る二十歳位の男性が外来にやって来られた。
1週間前から眠れない、微熱が引かない、ご飯が食べられないで痩せてしまったという。現役大学生の彼の話を色々聞いていて、まだ何者にもなれない、何も成し遂げていない自分へのもどかしさとか、将来への不安とか、つまり我々アラカン世代がまさしく彼と同じ頃、どうやってこの厳しい社会で生き延びようか、何を自分が生き残る武器にすべきなのか、日々もがいていたその同じ葛藤を抱いていると感じた。かつてそれを我が悩みとして共有していた身として私は言いたい。
「今はグダグダそんなムツカシイ事を考えず、ただ黙って二代目桂枝雀師匠の落語を見て、聞いて笑い転げようや」と。
 桂枝雀師匠は1999年に60歳の若さで残念ながら鬱を患い自殺したが、当時人気絶頂、上方落語の超人気者だった。彼の高座は天衣無縫、時に座布団の上を飛び跳ね、彼の頭脳と舌から繰り出されるイマジネーションは悠々と空を舞った。私個人としては彼の爆笑に次ぐ爆笑落語も勿論大好きだが、「風うどん(江戸落語では「うどん屋」)」という地味極まりない噺が最も好きだ。
 枝雀師匠は、笑いの本質とは何かと聞かれ「緊張と緩和」だと答えたという。怒りや破壊、暴力や裏切りが渦巻く混沌の泥池からフッと阿呆で間抜けで無垢な泡がポカンと浮く、きっとそんな様な事象なのではと理解し、それって結局人生全般生きるってそういう事じゃねーかと私なりに思う。緊張してばかりじゃ続かない、かと言って皆が皆緩和してグデってばかりじゃ我々全員が生きるこの社会の秩序は成り立たない。真剣に暮らして時に笑って泣く、そうやって人々は緊張を緩めて明日も頑張って来たのではと。
 今現在真剣に悩んでいるあの若者に私の経験がどれほど届くか分からないが、私は留年した2回目の医学部2年生の頃、大学を辞めようとした。ネットで他人の人生を幾らでも擬似体験できる今の若者と違って確たる情報も無く遥かに愚かだった私は、俺は医学部辞めて落語家になりたいと言って母親を泣かせた。そりゃ親は泣くよな、ようやく息子を医学部入れて学費や安定した将来の目処も立った矢先、この先メシを食えるか食えないか分からない落語家になると言われたら、もう親側の立場になっている今の私だって絶望すると思う。医学部の勉強ってのは結構大変だし、徐々にカリキュラムについていけなくなってた私を医者の世界に繋ぎ止めてくれたのは同級生M君の真剣な言葉と、あの頃ずっと聞いてた枝雀師匠の落語だった。ここが終点という到達点も無い総合芸術の落語という世界に自分の全ての熱量を注ぎ、ついにはその熱が彼自身の命を奪った、あの師匠の落語への献身を俺は果たして出来るだろうかと自分の精神の奥底まで漁って探した時、残念ながら私がこの先まともな噺家になるのは到底無理だと思えたのだ。
 今にしてあの頃の己の馬鹿さ加減を思えば、苦笑と共に感謝せざるを得ないが、うちの大学の理事K先生に私は最終的に騙された。「黒田君、君は大学を辞めて落語家になろうとしてるそうじゃないか」「ちゃんとした落語家になるなら、医者になってから練習したって遅くないじゃないかね?」
 いざ医者になったら忙しくて噺の練習をする時間なんて有ったもんじゃ無かった。くっそぉ。という緊張と緩和の落ちだ。我ながらまったくもう、情け無くて笑ってしまうね。