Blog黒田院長のブログ

2023.03.05

043 誤嚥

今日聴いていた音楽
‘Tot Musica’
UTA by Ado 他

 数日前にインフルエンサーのひろゆきさんが言及されていた裁判記事がネットに上がっていて拝見した。これは凡そ全ての介護施設にとって辛いだろうなと思ったのでこの文章を記している。

以下はニュース記事の抜粋__
愛知・春日井市の特別養護老人ホームで2019年12月、認知症で入所していた当時81歳の女性が食べ物をのどに詰まらせ、窒息死した。遺族側は、職員らが見守りを怠って起きた事故として施設側に計約3550万円の損害賠償を求めて名古屋地裁に提訴。2月28日の判決で地裁は施設側の注意義務違反を認定し、計約1370万円の支払いを命じた。女性がかねてかきこんで食べ、おう吐することがあったため窒息の危険性を予見でき、職員が食事を見守るべきだったと認定した。
__抜粋ここまで

 なるほどな。ここで出てくる「注意義務違反」というのは、弁護士さんのブログによれば「事故の結果を予見することができた(事故の予見可能性があった)にもかかわらず、結果を回避する措置を怠った(事故の回避可能性があったのに回避義務を果たさなかった)ことが必要です。」ということなのだそうだ。
 まずこの事件に対しての理解を深めるため、誤嚥という現象について概説したい。至極ざっくりと要約すれば、「嚥下反射の乱れによって、消化器系に流入するはずの食べ物が気道に入り込んでしまう現象」だろう。嚥下反射とは喉をゴックンした時に空気の通り道を喉頭蓋が塞ぎ、同時に食道下端の括約筋が緩んで食べ物が通る道を開く一連の動きをいう。嚥下反射が起きて終了するまでの時間は文献にもよるが僅か0.2-0.8秒つまり1秒にも満たず、年齢によって衰えることは既に分かっている。この件について調べていて更に興味深かったのは、まあそりゃそうだろうなと言わざるを得ないが65歳以上の高齢者は「単位時間辺りの嚥下回数も若年者に比べて落ちる」という事実である。認知症でかきこんで食べる癖がある高齢者、それもたった1秒未満で誤嚥が起きる可能性を予見しなければならないのは正直言ってさっきその辺に置いたメガネさえ探せなくなる私には到底無理だ。例えば過去の判例では「事故の結果を回避する措置」として「口を開けさせて食べ物が口腔内に無いのを確認する」と例示されているが、認知症を患う高齢者は「お口をアーンして」と言って開けてくれるとは限らない。目一杯口に頬張っても頑なに歯を食いしばって抵抗する人だって居る。
 更に私自身が体験した症例を思い起こせば、或る晩の救急外来に呼吸停止の80代男性が救急搬送された際、気道確保しようと喉頭鏡で喉を見たら残渣で喉が展開出来ず、急いで気管切開したら安全に切開できるラインより更に奥まで食物が詰まっていて慄然としたことが有る。残渣を吸引して蘇生治療を行っても救命することは出来なかったが、こんな事は救命救急に一度でも関わった医療関係者なら誰でも経験するのではないか。つまり何が言いたいかというと、「気管切開をしても救命措置が不能なくらい一気に多くの食物残渣を詰め込んでしまう高齢者にどう対処すれば良いのか」って事だ。それは何も珍しい事じゃ無い、先ほど触れたように歳をとって嚥下反射が衰えれば誰だって直面する冷厳な事実だし、議論の行き着く先は「じゃあ食事介助についた介護士が注意義務を怠らなかったらこの入所者は助かったのか」だと思う。私自身は医療の教育を受けていないであろう介護士にそこまでを要求するのは難しいと思うが如何だろうか。ぶっちゃけた話、「何か〇〇さんがご飯の後に具合悪そうなんだけどどうしたら良いかしら」なんてスタッフ同士が集まってアタフタしている間にどんどん時間が経って救命の限界を超えるだけだとしか思えないし、その場で気管挿管や気管切開まで含めた適切な救命措置を施せる介護施設なんてこの世に存在しないのではないか。

こんなシビアな状況に置かれたとすれば、介護施設の関係者が取るべき合理的な選択肢は私が思いつく限り以下くらいしか無いと思う。
1.誤嚥を起こしかねない患者の入所を断る
2.誤嚥を起こしかねない患者には全例胃ろう造設を義務付ける
3.食事時間に誤嚥を生じる可能性が有る入所者については必ず1名ずつ介護士を食事介助につける

1ならかなりの数の高齢者が行き場を無くすことになると思う。2については私も消化器外科医だった身として内視鏡下の胃瘻造設に携わってきたが、あれは延命効果には繋がっても患者さんのQOL(生活の質)向上に役立つとは全く思えない。口から味わって美味しいご飯を食べられないなら、生きてる価値ってどのくらい有るの? 私の勝手な意見だが、それじゃ生きてる魅力8割減だなあ。
3については更に難しい。注意が必要な入所者の食事介助にはつきっきりで30分以上かかる事も稀では無いと聞く。当然人を増やして対応せざるを得ないが、ただでさえ経営が厳しいとされる介護業界でそれだけの人件費を何処から捻出すれば良いのだろう。国庫から相当の補助金が必要だと思うが、理想と現実の整合性は取れるのだろうか。
最後に、この事件に関わった介護士さんに。
あくまでもこのニュース文面で窺い知れる範囲だが、あなたがご自分で精一杯やったのなら自分を責める前に介護の現場から去って良いと私は思うよ。こういう、人間の注意能力を超えるとしか私個人的には思えない判決に心身を病む前にね。
「医療ミスを防ぐ最善の方法? 医療行為をしない事だよ。」