Blog黒田院長のブログ
2022.02.10
- 026 埼玉の事件
今日私が聴くべき音楽
ベートーベン「ピアノソナタ 32番」 他
1月27日の夜9時頃、埼玉で猟銃を手にした男による立てこもり事件が発生した。あれから2週間ほど経って、個人的に面識が有るわけでもないが亡くなられた医療関係者への哀悼の念と、どうしてこんなことが起きてしまったのかという憤りの思いを自分の中で整理することがまだ出来ないでいる。
亡くなられた44歳の医師は300人の往診患者さんを診られていたそうだ。私も訪問診療は行っているから容易に推測出来るが、300人となったら地域の往診ほぼ全域に亘るだろうし、その規模となったらどれだけ自分のプライベートな時間を削られるかと思ったら空恐ろしいレベルである。当たり前のことだが、移動に30分かかる往診先に赴いたら帰りも当然30分かかるのだ。年末年始もクリスマスもご家族の誕生日も無く患者さんの為に奔走されていただろうことは想像に難くない。しかし、66歳の犯人は92歳の母親が亡くなったことを受け止められず、医師と看護師、理学療法士を弔問に来るよう強要し、あまつさえご遺体に心臓マッサージを施して蘇生させるよう迫ったという。それは無理だと道理を説く医師に対して激昂した男性は医師と理学療法士を猟銃で撃ち、看護師に重傷を負わせた。という顛末だったようだ。
訪問診療で亡くなられた患者さんの弔問に伺うというのは、私の狭い常識の範囲内では異例だと思う。幾ら犯人から強要されたとて、わざわざ夜の勤務時間外に弔意を示しに行かれた3人の医療者は、モンスターペイシェントとのいざこざを避ける意味も有ったのは間違い無いがそれでも大変誠実な方々だと思うし、普通なら、あくまで普通であればご遺族も、例え医療者側と考えが相違していたとしても最後には感謝されるものだと私自身の勝手な願望も含めて信じたい。まして亡くなられた先生は患者さんやご家族の意向に寄り添ってくれるとても患者思いの医師だったそうではないか。地域医療の大きな柱を一瞬の愚行で根だやしにした、肉親の死という避け難い現実を受け止められなかった犯人に対して、私はどんな言葉をかけるべきか分からずにいる。
3人の医療関係者が犠牲となった。しかしもし彼らが弔問に赴かなかったら恐らく猟銃を持った犯人は訪問診療のクリニックを襲い、もっと多くの犠牲者が出ていた事は想像に難くない。医師と理学療法士の方達は思いもよらぬ形で自らを犠牲にして、より多くの犠牲が生じることから守ったと、彼らの鎮魂の為にせめて私はそう言いたいものである。
最後に。どうしてもこれは私の深刻な疑問として述べておきたい。さほど広くもないであろう地域で今までも問題行動を繰り返していた、こんないかれた男に何故猟銃の所持免許が許可されたのか、他の病院で暴れたりした履歴が有ったのなら、情報が猟銃免許の更新時にでも共有されなかったのか、こんなやりきれない事件がまた起きない為に我々は何をすれば良いのか?