Blog黒田院長のブログ

2021.03.30

016 The Prayer

今日聴いていた音楽
Andre Bocelli, Celine Dion ‘The Prayer’他

まだまだコロナが落ち着くまでは遠いような状況下で我々も辛抱が続く。自分も引き籠もっているうちに、ほんの少しだけにしてもニートとか「こどおじ」とか言われる若者たちの感情が理解出来るような気がしている。所詮感情も肉体の条件も、歩んで来た人生の時間も彼等と入れ替わる事が出来ない以上、あくまで「気がする」レベルなのではあるが。
そういう時、私はアンドレア・ボチェッリに思いを馳せる。世界的に有名なテノール歌手の彼だが、12歳の時にサッカーボールが頭に当たり脳内出血を起こして失明し、それから今に至るまで盲目のままであるそうだ。自分のような健常者に彼のような障害を抱いてしまった人々の苦悩は到底理解出来ないとも思うし、そんな才能など要らないから世界の美しさをもう一度見られる目が欲しいと彼に言われれば返す言葉は自分の中に見つからない。
しかし敢えて勝手な事を言えば、彼は類い稀な天賦の声、あの甘くて力強い唯一無二のテノールヴォイスを悪戯な神様から恐らく視力を奪う代わりに与えられ、世界中の素晴らしい超一流の才能達とコラボレーションしながら我々凡人に歓びを与え続けてくれている。
ニート、「こどおじ」、呼び方は何でも良い、自分の人生に何の価値も見出せずに心と身体を閉ざしている人々、私はここに人生を生き抜くヒントが有るのではないかと信じたい。とにかく何でも良いのだ。自分の武器は、人生を生き抜く知恵は何なのかをアンドレアにとっての「声」と同じく、真剣に考えてみたらどうなのか。勿論そこについては我が身の人生の重大事なのだから何年かかるか分からないが、とにかく考えて考えて、考え抜くのだ。この現代で隠れた才能を披露する場面はYouTubeだって有るしTwitterだって有る。私の知らないSNSだって有るのだと思う。この先も新たな収益を得られるツールは開発されて行くのだろうが、人の後追いをしていては勝負出来ない。「歌ってみた」「弾いてみた」ではアンドレア程の突き抜けた才能が無ければ駄目なのだ。他人を傷つけたり侮辱したりする動画なども先が見えた姑息な手段である。だからあなた方も自分という容れ物の奥底まで闇も浚って、舐め回してこねくって味わって、それが甘いのか苦いのか世の中に通用するか分からんがようやく絞り出した一滴に賭けるわけにはいかぬのだろうか。どのみち、今迄と同じ生活をしていたらいつか行き詰まるのだから損はしない、「俺の人生糞みたい」「あいつ劣化した」などとネットで便所の落書きのような愚痴を垂れ流す時間が有るなら自分の持てる唯一無二の武器を磨ぐ方が余程建設的なんじゃないかと思うのだがどうだろう。