Blog黒田院長のブログ

2021.03.13

014 アルコール依存、または聖なる酒飲み

今日聴いていた音楽
ゴンドラの唄 藤田恵美 など 

 このコロナの状況下で、私が日常診療で覚えるのは色々な依存症が増えているのではないかという危惧である。身近なところでいえばアルコール依存がジリジリと増えている様な気がしてならない。あくまでも町医者の肌感覚なので具体的なデータなど無いのだが、あながち杞憂とは言えない様に感じている。
 私が子供の頃、まだ電気冷蔵庫は贅沢品で今ほど家庭に普及してはいなかったから、仕事帰りに冷蔵庫から冷たいビールを取り出し、プシュ、ゴキュ、ホワァー、というわけには行かなかった。冷たいビールが飲みたかったらその都度酒屋さんまで買いに行く必要があったのだ。氷屋さんとか酒屋さんには大人が立って入れるくらいのデッカイ冷蔵庫が備え付けてあって、買いに行くとそこから冷えた飲み物を出してくれた。あの冷蔵庫に閉じ込められたら怖いなあと子供心に怯えていたものだ。大抵の酒屋には一枚板を渡したカウンターが有って、大人たちが4−5人して世間話をしながら立ち飲みをしていた。角打酒場とかいって、その頃の下町ではありふれた光景だったのだ。こんな事を書いていると、まるで年寄りの昔話みたいで複雑な快感を覚えるな。
 ある時、といってもなにぶんにも軽く半世紀近く前の事だから詳しくは覚えていないのだが、多分親の使いで近所の酒屋に入った時の事だったと思う。酔って他愛の無い与太話を声高に繰り広げる常連組に混じって現れた男性が、年齢の頃なら三十後半だったろうか、こちらが子供だったから大人に見えたがもっと若かったのかもしれない。作業着のまま仕事帰りの脂を顔に浮かせてカウンターの前に立ち、硬貨を数枚、恐らくあの当時だから数十円だと思うが、板の上にキチンと積み上げて酒を頼んだ。出て来たコップ酒をスゥーッと飲み干し、受け皿の滴まで綺麗に平らげて初めて穏やかに笑ったその顔だけは、今でも他の情景が時の流れに洗われた今でも良く覚えている。飲む前の切羽詰まったような表情と緩やかに解けた様子の対比が子供心にも鮮やかだったに違いない。男は店主にご馳走さまと一声かけて夕暮れの街に消えていった。その光景を目撃して以来、酒飲みはこうじゃなくちゃいけないという刷り込みが自分の中に完成してしまったのだ。曰く、酔って醜態を曝す迄は飲まない、独りでほろ苦い酒くらいまではまだ良いとしても、自分も周りも苦しく、不愉快にするほどの酒は飲まない。そんな酒飲みとしての規律を自分に課してもなお何度となく酒で失敗してきたのは私も人後に落ちないつもりだが、一応最低限の矜持として、ね。そこは譲らないようにしないと。
 酒との接し方に自信を無くしているあなた。もし、あなたが心も身体も痛めるような酒を飲まなければ居ても立ってもいられないのなら、酒を飲み過ぎる恐れが自分や周りの大事な人への怒りに変わる前に、私でも誰でも良い、あなたが信頼出来る近所の医師に相談しよう。自分の飲み方がもしや危ないと思えるなら、遥か昔に私が見かけたあの男の様なキチンとした酒飲みになるのにまだ時間は残されていると信じたいのだ。