Blog黒田院長のブログ

2021.03.04

013 ハードボイルド

今日聴いていた音楽
Chet Baker & Paul Brey ‘If I should lose you’
Steeplechase record

 コロナワクチンの接種がそろそろ始まるという情勢下、皆さん正確なワクチン情報を得たいと当院のHPにアクセスされるでしょうがさにあらず、相変わらず私のところはコロナ予防には全く役に立たない情報ばかりである。
 最近のテレビはAI搭載とやらで、私の好みを反映して勝手に知らない番組を録画してくれる。実に便利なものだ。どうやら私は奴っこさんから相当食いしん坊だと判断されたらしく、油断していると見た事も無い料理番組がハードディスクに溜まってくるが、料理雑誌の編集長さんが「普通だけど美味しい町場の料理屋」を紹介してくれる番組の言葉にハタと膝を打った。その様な言い回しには雛形のようなものが有るらしいのだが、曰く「人生で大切なものの七割は『あしたのジョー』と『スラムダンク』から学んだ」、というのである。いやぁ巧い事を言うなと感心した。偉そうな教養本とかを挙げず、笑いと共感を求めているところが実に大人の遊び心だ。
 それになぞらえて我が身を振り返れば、人生何たるかのニ割くらいはハードボイルド小説から学んで来たのじゃないか。二割に留めている訳は、とてもじゃないが主人公たちのストイックな生き方を真似出来るもんじゃ無いからである。んなもんフィクションじゃないかって? それ言ったら身も蓋も有りませんやね。
 レイモンド・チャンドラーが産み出した私立探偵フィリップ・マーロゥ、ロス・マクドナルドのリュウ・アーチャー辺りの古典から、ロバート・B・パーカーの自分語りがちょっとくどい私立探偵スペンサーやローレンス・ブロックのアル中探偵マット・スカダーなどの中堅クラス。ディック・フランシスの主人公達にも魅かれるのだが、彼の場合は主人公がさほど固定していないのがちと残念。元チャンピオン・ジョッキーのシッド・ハレーが何作か出演していたかな。
 ディック・フランシスやロバート・Bパーカーのハードボイルドを挙げたら、もう亡くなられた翻訳者の菊池光さんを挙げないわけには絶対にいかない、そう、絶対にだ。こういう書き方ってちょっとハードボイルドっぽいか、とやってみた。一時期の私は菊池さんのシンプルかつド直球ストレート、なおかつホロ苦い語り口にどっぷりとハマっていたと思う。ハードボイルド小説の日本語訳では過去最高レベルの量と質だったと思うが、何とまあ今回此の文章を書くにあたってウィキペディアにあたったら、菊池さんは「キクチヒカル」じゃなくて「キクチミツ」さんだったのだ。初めて知った。何とも申し訳無い気分だ。
 数多有る古今東西のハードボイルド小説を読み漁って、なおかつ未だに何度読んでも読み飽きない、自分にとっての最高傑作はやはり月並みかも知れぬがチャンドラーの「長いお別れ」にとどめを刺すとおもう。旧訳の清水圭二版も良いし、マーロウが少し若返った感じの村上春樹版も素晴らしい。もうあれを読んだら最後、あたかも催眠術にかかったが如く心と喉がキンキンに冷えたギムレットを欲する様になる。それも口開けのまだ空気の冷えたバーで。要するに私はミーハーなのだ。
「『私は歳をとった、私は歳をとった、靴下は丸めて履く事にしよう』、これは一体どういう意味なのでしょう?」
こんな事を主人公に聞く初老の運転手、くぅー、自分がリムジンの後部座席に収まる身分ならこんな教養有る渋い運転手を雇いたいものだ。
 あれをハードボイルド小説と括って良いのか分からないがロバート・Bパーカーの「初秋」も、やはり忘れ難い傑作だろう。親から見捨てられ、自分にも周りにも不快な存在でしか無かった少年が、主人公との出会いをきっかけに痛みを覚えつつ自分と向き合い、やがて大人になって行く過程には熱いものを覚える。
 なお言わせて貰えば、今日聴いていた音楽に挙げた’If I should lose you’、この曲も間違いなくハードボイルドだ。こんな演奏の良さが分かってくるのなら、歳をとることも決して悪くないと思える。コロナやら何やら、ままならぬ人生に疲れたらチェット・ベイカーをちょいと一服。