Blog黒田院長のブログ

2019.12.22

007 ジュディ・ガーランド

今日聴いていた音楽
「アリー スター誕生」サウンドトラック 他
 
古今東西、あらゆるエンターテイナーの中で誰が一番好きか、と言われたら、
まあ日本人の私がそんな事を聞かれる事は金輪際無いのだが、私はジュディ・ガーランドと答える。
お嬢さんはライザ・ミネリという、これまた素晴らしいエンターテイナー。
ジュディ・ガーランドこそ、米国のエンターテインメントというものの、ありとあらゆる光と闇を体現していた存在だった。

何でこんな話をここに載せるかと言うと、
もう何度目か分からない「アリー スター誕生」を夜中にまた見てしまったからであります。
2018年版の「アリー スター誕生」は、私個人的には古のハリウッドでクラーク・ゲーブルやタイロン・パワーが占めていたような地位に現在居るのでは無いかと思っているブラッドリー・クーパーと、今この映画をリメイクするならアリーを演じるのはこの人しか居ないのじゃないかというレディ・ガガの二人が、有り得ないほどの化学反応を示している映画ですね。
でまぁこの映画を見ると、次にジュディ・ガーランド版の「スタァ誕生」(ここはやはりクラシックに「スタァ」としたい)が見たくなるのです。
「アリー スター誕生」はこのストーリーの4番目の映画化ですが、
ジュディ・ガーランド版は2番目。1954年の映画です。
基本的なストーリーは変わっていないです。でもね、
レディ・ガガとブラッドリー・クーパーの最高のパフォーマンス、あの「シャロウ」と同じレベルで素晴らしい彼女自身の自伝的シークエンス、
「Born in a trunk」、これがアナタ、もう最高なんでありますんでんがな(なんか興奮のあまり語尾が乱れちょる)。
ジュディ自身は1940年代から酒と薬に溺れた挙句、
1949年の「アニーよ銃をとれ」という映画の撮影に多大な損害を与え、
ショービジネスの世界から引退を余儀なくされます。薬物依存の辛いリハビリなどを経て再起し、撮った映画がこの1954年版「スタァ誕生」なんですね。
彼女はこの作品でアカデミー主演女優賞にノミネートされますが、
彼女にとって不幸な事に、オスカーは後にモナコ王妃になったグレース・ケリーに授けられ、断固たるジュディ派の私としては、「喝采」のグレース・ケリーは主演のビング・クロスビーに助けられただけで絶対的に主演女優賞はジュディでしたが、私には産まれる前の、しかも遠い異国の出来事ゆえ如何ともし難く、
そんな事を今ここで書いてもどうにもならないくらいショックを受けた彼女は、
また精神を病んで自殺未遂を繰り返すようになってしまう。

亡くなったのは1969年。まだ47歳でした。
娘さんのライザ・ミネリは、「母はハリウッドに殺された」と言い、
ニューヨークで葬儀を行ったといいます。
You Tube が普及して、彼女の動画なども沢山上がっています。つくづく良い時代になったな、と。
この駄文を読んで少しでも彼女に興味を持たれた方は是非ご覧下さい。
いや、マジで凄いよ、彼女は。