Blog黒田院長のブログ

2019.12.11

006 N先生の話

今日聴いていた音楽

I Love A Piano

今井美樹 他

まだ若い頃、月に二十日は何処かの病院に泊まっている時期が有った。都内の病院で朝から仕事、夕方の6時かそこらに千葉なり埼玉なりの病院に行って当直、下手をすると一睡も出来ずに翌朝からまた仕事、なんていう生活が一週間続く事も珍しくは無かった。その当時、仲間は誰だってそんなものだった。もう私にはそんな生活は出来ないが、若い先生方は今でもきっとそうなのだろう。

月に一回、第二週の土日に必ず行く病院が有って、土曜日の朝から月曜日の朝まで働いていた。勿論その間のべつまくなしに起きているわけじゃ無くて適当に睡眠は取るのだが、段々昼夜の区別もつかなくなって、一度起こされると寝つくまで時間がかかるようになってしまったので後輩に変わってもらった。土曜日の朝、その病院に着くと医局には必ず産婦人科のN先生がいらした。満州生まれで気骨ある先生のお人柄に私は随分と教わる事が多かったが、年間300日以上夜中に呼び出されていた、なんて聞かされるといつも絶句してしまったものだ。あのぉ、一年って365日しか無いんですけど。年間400件のお産を取り上げた時代も有ったというのだが、一日一件以上毎日のべつまくなし、昼だろうが夜中だろうが延々と続くんである。その頃は土日に旅行の一つも行けなかったと言われていたがその通りに違いない。
「息子たちはオヤジみたいな生活は真っ平だと言って一人も医者になりませんでした」
うーん、そりゃそうでしょう。
当然そういう方だから今の産婦人科医は軟弱だと非難する正当な資格を有しているのだが、私などは月にたった6回の当直勤務が嫌で別の人生を探そうとしてる時期だったから、彼に軟弱と誹られる産婦人科医に申し訳が立たないくらいのものだった。
時代は移り、近年では産科を標榜する病院が凄い勢いで減ってきている。今まで産科で頑張ってきた先生方もお産を引き受けなくなった所が多いと聞く。産婦人科に限らず外科系を志望する医学生も減少の一途、遠からず需給のバランスが崩れる診療科は大変であるし、その皺寄せは紛れも無く患者さんの不利益として帰ってくるのだ。あれだけ頑張っておられたN先生も既に亡くなられた。世のあらゆる人間と全く変わり無く、医師とて一年経てば一年歳を取る。為政者が今すぐにでも有効な手立てを打たねば、一年の遅れは五年になり、十年になるだろう。医療関係者、特に現場の人間がそれこそ十年やそこら前から言ってきた事が現実になりつつある。