Blog黒田院長のブログ

2019.10.11

002 忘れた! の先生

早いものでもう20年ほど前のことになるが、ずっと往診で拝見していたお婆ちゃんが85歳で亡くなった。
人生最期の10年くらいは寝たきりだったけど頭はしっかりしていて、私が往診に行くと「もうこんな人生は嫌だ、ぽぉぉっー、と楽に死ねる毒薬を頂戴」というのが口癖だった。私はいつも、
「あ! ちゃぁんとそういう薬は作ってあるんだ、でもさ、持ってこようと思ってたんだけど出がけに忘れてきちゃったよ、今度持ってくる」
なんて誤魔化していて、でもなかなか頭もハッキリしていたもんだから、
「先生はそうやっていっつも忘れたぁ〜忘れたぁ〜って、まったくアタシより呆けちゃってるよ」
「まあそう言うなよ、俺も家を出る時には持って出たんだけど玄関の植え込みに落っことしちゃったんだよ」
「昨日までは持ってたんだけど欲しいって言うから先客にあげちゃったんだ、アンタの分はまた今度な!」
とかその都度適当な事を言っていて、次第にそれが互いのお約束みたいになっていった。
彼女が一人で住んでいたアパートはその頃でさえこんな建物が残っているのすら不思議なくらいで、ギシギシ啼く鉄錆びた階段を登って二階に登るとプーンと下水の匂いが漂った。我々が訪うといつも同じ時間に入っている顔なじみのヘルパーYさんがドアを開けてくれ、我々の掛け合い漫才みたいな会話にニコニコ笑って付き合ってくれた。私が、
「よし、また来るぜっ」
なんて言うと「股だけじゃなくて身体も連れて来な!」
年寄りと侮れないなかなか切れたジョークを飛ばし、実は結構私にとっても週に一度の密かな娯楽になっていたのだ。
彼女がいよいよ体調を崩して入院し、一旦退院は出来たがおんぼろアパートはついに取り壊されて別のもっと狭いアパートに移り、その後に訪問した時は既に私の顔も分からず、呼びかけても言葉を発する事は出来なかった。程なく亡くなったという知らせを受取り、やむを得ぬ事とは言え否応も無い喪失感を味わった。
それからしばらくして別のお宅に往診で伺った時、バアちゃんのところに入っていたヘルパーのYさんに再会した。
Yさんこそが身寄りも無く訪れる家族とて居ない孤独な老人の臨終に一人で付き合ってくれた人だったのだ。
「おバアちゃん、心臓が止まりそうになるから私が「ほら、‘忘れた’の先生が来るよ、って言うと少し持ち直したりしたんですよ」
彼女からそれを聞いた時、私は不覚にも少し泣いた。

今日聴いていた音楽

Sinne Eeg ‘Dreams’