Blog黒田院長のブログ

2026.06.18

070 色気

今日聴いていた音楽

Piano man
Billy Joel 他

 自分がどんな音楽を好むか。それは随分前から分かっている。ジャズヴォーカル、黄金期のロック、若い頃に聴きまくったポップミュージック、最近のアニメソングだって物凄い才能が束になって押し寄せる感が凄いし、そりゃもう何てったっていつかは帰る場所であるクラシック音楽、かてて加えて歳をとるごと益々沁みる演歌、エトセトラ。
 まだまだ模索しているのは、この素晴らしい音楽たちをどんな感じで鳴らし、聴きたいかである。私が70年も前のヴィンテージスピーカーで音楽を聴くのは決して懐古趣味でも無ければ現代機器へのアンチテーゼでも無い。万人受けするとは到底思えなくても、それが心地良くて私が十分に楽しめているから聴いている。現代オーディオ機器の価格は馬鹿らしいほど高騰し、もはや宝飾品や高級車、果ては貴金属にも匹敵するほどの価格帯に突入している。勿論高価な製品には手間暇をかけ、湯水の如く金をかけただけの素晴らしさは有る。その芸術的価値を無視は出来ないしキチンと評価すべきなのではあるが、そんな高価極まる機材で自分のシステムを組んだって好みの音楽が思い通りに鳴ってくれるとは限らない。むしろお金をかければかけるほど自分の聴きたい音楽の世界からどんどん遠ざかる危険まで有る。我らの生きる道が厳しいのと等しく、オーディオの世界もどうしてどうしてなかなかムツカシイのである。浅草の町人階級出身である私自身に限って言えば、現代の超ハイエンドが提示する高踏的な貴族階級オーディオに近寄り難いものを感じて一歩引いてしまう、幾ら自分が貴人になりたいと形だけ真似たところでカモメはカモメなのだ。現代オーディオの優れた高解像度も音場の拡がりも蔑ろにするつもりは無いし、むしろ積極的に尊重する立場では有るが、自分が家で鳴らす音はチョイと下卑ていて欲しいし、何より色気が無くてはならない。この場合の色気というのは、神の奏でる音楽じゃ無い、我々と同じ血の通った人間の生臭さが漂う、人肌の音楽であって欲しい、そういう意味である。
 以前も「エクス・マキナ」という映画に関して書いたが、私はあの映画でジャクソン・ポロックの絵を鑑賞する楽しみを知った。IT企業の会長宅に飾られていたポロックの抽象画は一見してランダムな線や色彩があたかもAIで描かれたように散りばめられているが、しかしAIには再現出来ない感情のうねりや遊び心が確かに感じられる。正にこれこそ異星人がテレパシーで会話するがごとく、我々人間が人間同士で交信出来る手段である。AIと人型のロボットが高度に管理する山荘の内にあって僅かに残された人間の領域、あれは言わば我々が音楽を聴き、本を読み、絵を楽しんで滋養を摂取する根源的意味でもある。「人工知能さんがまあ10年かかっても辿り着けないっしょ?」という、言わばAIとその先に待つAGIと我ら人間との、存在意義を巡る争いに打ち勝つ為の重要な手段なのだと思う。