Blog黒田院長のブログ

2026.03.06

067 我々はどこから来たのか

今日聴いていた音楽
The song of birds/鳥の歌
Pablo Casals他

「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
フランスの画家ポール・ゴーギャンが1897年から1898年にかけて、その生涯を閉じたタヒチで制作した三枚構成の大作だ。私があの作品を初めて見たのはたぶん15年ほど前のゴーギャン展だったが、重い衝撃は今でも良く覚えている。巨大なカンヴァスに油彩で描かれたタヒチの暮らし、きっと普通の市井人の日常を描写した一見極く普通に見える絵が、どうやったらあんな土俗的な情景の隅々までドクドクと脈打つようなエネルギーを秘めた神性を帯びるのか訳が分からんかった。解説によれば向かって左が「我々はどこから来たのか 」、真ん中が「我々は何者か」、そして右側が「我々はどこへ行くのか」だったかと覚えている。
聞くところによれば、ゴーギャンという画家は相当偏屈で独善的で、当時の西欧社会の規範や何やかやとは相容れないくらい屹立した個性だったそうだ。フランスはパリで会計士として暮らしていたのに妻子を捨てて画家の道を選んだとか。孤立を極めた挙句にタヒチ島という当時の西欧文明からは月世界ほど遠い、とんでもなく隔絶した島に生き延びる空間を見出したのかと推測せざるを得ない。それは英国人作家サマセット・モームの傑作「月と六ペンス」で恐ろしい程活写されている天才的な画家の等身大に違いない。ちなみにあの小説の語り部たる「私」とは、天賦の才能という呪いに全身を蝕まれた画家と関わってしまったばかりに、我が身も心も翻弄され尽くす常識人たち。どこまで行っても日常生活の安定や日々の暮らしに幸せを覚えて範を超えるのを恐れる、普通の人間たる我々の等身大の姿である。

ロシアがウクライナに攻め入ってもう4年が経過した。中国が台湾に攻め入るXーday、「今そこにある危機」も高まっていると専門家が口を揃えている。今年に入ってからもヴェネズエラの独裁者が電撃的に逮捕拘禁され、今や米国イスラエル連合軍がイランの指導層を根絶やしにする驚くべき事態まで起きた。厳しく対立する両側の陣営にはそれぞれの信奉する正義が有り、正義が我に有りと思えば敵対者へのどんな残虐行為も正当化される。好むと好まざるに関わらず、我々はそんな先祖返りのような弱肉強食の時代に戻ってしまった、、うん、違うな、我々が平和を享受して目を瞑っていただけで、敵対する宗教や国体、言ってしまえば我々の文明そのものがはるか昔から、そしてきっとこれからもずっと、そんな場所なのだ。

来た道を逆戻りすることは出来ない。起きてしまった紛争や、現在進行形の戦争行為は自分たちの力では止めようが無く、大言壮語する気力も体力も無い。

「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」

我ら一個人の出来る範囲と言えば、人類に対するこの根源的で普遍的な問いを自らに発して自分を律する、可能な限り多角的かつ柔軟な視点で現実を厳しく、冷静に見極めて検証する。それしか無いのかなと私は思っている。