Blog黒田院長のブログ
2025.06.29
- 062 蕎麦屋
今日聴いていた音楽
「生きていてもいいですか」 中島みゆき 他私の経験則その一。「壁に写真入りメニューを貼ってある蕎麦屋に美味い店は無い」 或る時、思いがけず昼前に仕事が終わり、昼食を摂ろうと当てずっぽうに入った蕎麦屋も全くその経験則通りで、その店で一番美味かったのは昼で一日の仕事を終了した快感というスパイスの加わったヱビスビールであった。
蕎麦屋で思い出したが、まだ私が30代だった頃、浅草でもそれと知られた名店でせいろと蕎麦味噌を肴に剣菱の樽を嗜んでいた時の話。向かいのテーブルに座った五十年配の親爺さんが独りでずっとぶつぶつ言っているのに気付いた。
「俺は殆ど毎日ここで蕎麦を食ってるんだ、今日の蕎麦は駄作だ」
十分美味いと思うんだけどなあ。
「ゆで加減が甘い。先代の頃はこうじゃ無かった」
貴方、いくら客だからって大人しくしてないと叩き出されるよ。
そのうち件の親爺さん、剣菱で昼からすっかり幸せ気分な私に絡み始めた。
「若いの、蕎麦の食い方がなっちゃいねぇ、いい蕎麦屋なら必ず一口で食べやすい量で出してくれるんだから、そう一気に手繰るもんじゃ無ぇんだ、お前ぇ、さてはまだ妙な気取りがあるんだな」何だこのオヤジ、余計なお世話でぃ。とは言えなるほど蕎麦はそうやって食うのかと勉強になったし、ああいう奇特でお節介焼きな親爺がゴロゴロ居たから昔の浅草は面白かった。我が身の恥を晒す様だが同じく浅草なら一、二と指を折るクラシックなバーで酒を飲んでいた時、酔いに任せて「お代官様が腰元を捕まえてガラッと次の間の障子を開けたら床が延べてあってさ、帯をこうクルクルっと解いてアーレー」みたいな最低の下ネタを友人と繰り広げていたら、隣で静かに飲んでいた初老の紳士が大学の先輩だったなんて事もあった。どんな他人が聞いているか分からない酒席で声高に下品な話なぞするものじゃないと極くさりげなく、それもにこやかに教えてくれたっけ。剣道をされていたとその時に伺ったが、確かに髷を結ったら大身のお武家様でも通るような人品骨柄の方だった。
7年目の医学部6年生の時にはこれまた浅草の老舗中の老舗、西洋式のバーでは日本最古と言われる神谷バーでオッちゃん達と相席になった。あそこは今でも基本的に4人掛けのテーブル席なので、一人で行くと必ず誰かと相席になるのだ。良い加減に日焼けした、さあ四十絡みだったろうか、目尻の下がったいかにも世話好きらしい顔を電気ブランで煌々と出来あがらせた二人連れだったな。
「お、ニイちゃん独りで来たのかい?」から始まり、「学生さんかい?」「ええ、そうなんですよ」「何年生だ」「6年生です」「え? それって大学生だろ、何年通ってんだ?」「7年です」「そうかぁ、そんなに学生やってんじゃロクな就職も無いだろ、困ったら俺のトコに来い」って名刺をくれた。医学生だと告げたらこの方のご厚意を無にし、傷つけてしまう気がしてありがたく頂戴したのを覚えている。
老いも若きも、誰もがなかなか生き延びるのが厳しい世の中である。運良く勝てりゃ良いが流れに巻き込まれりゃ手前が深傷を負うことだって少なからず有るこの浮世で、周りと折り合いをつけて波風を立てない生き方は本当に難しい。時には苦笑混じりの笑顔、時には愛情ゆえか理不尽か分からんが叱ってくれながら、ちゃんと皆が何とか幸せに生きて行くに必要なものは何か教えてくれた。自分独りの殻に閉じ籠もっていちゃあ、ついぞ気付けないルールを教え込んでくれた、時に可笑しく時にはイラっとさせられたあの懐かしい大人たちは一体全体、何処に去ってしまったのだろうかな。