Blog黒田院長のブログ
2022.10.25
- 037 追悼演説
今日聴いていた音楽
Chris Botti
‘When I Fall in Love’他まず大前提として、臨床医たるもの政治的、宗教的な立場において偏るべきでは無いと、私個人的には思っている。すべからく人間は政治的な生き物であると賢者が喝破した如く、私にだって信奉する信条、枉げたくない精神的支柱というものは有るが、かと言って異なる考えを持つ人の治療に手心を加えて良いものでは無いし、そこに政治的立場や信教の相違などが判断基準として介在してはならないと思っている。
勿論私とて生臭い一人の人間であるから相手に対する好悪の感情には抗えないし、正直言って「この患者さん、あのご家族には仕事以外じゃあまり関わりたく無いな」ってことは多々有る、、というか年々歳々偏屈ジジイ化して来ている私としてはどんどん自分の器量が狭くなっている気がしないでもないがそれはさておき、医療においては政治や宗教的偏りを持ち込んではいけないと自らを厳に律していきたいものだと難しい行為だが日々念じている。
自分の根底に有るのは或る苦い記憶だ。まだ病院で勤務医をやっていた頃の今から20年ほど前、ズタボロ36時間当直勤務の深夜帯に一人の患者さんが亡くなって、私は看取り医という立場だった。ちょっと癖のある患者さんでご家族からもいろいろなクレームが有ったので、言い方は悪いが亡くなられてホッとした私は死を宣告して点滴や呼吸のチューブを外すためにご家族が居なくなった病室で、一緒にご遺体の清拭を手伝ってくれていた看護師さんに「いやあ〇〇さん、もっと頑張るかと思ったけど死んじゃったねぇ?」つい笑って言ってしまったのだ。傍の看護師さんは「先生、今の言葉を、さっきまでいらしたご家族の前でその同じ笑顔で言えますか?」と怒りを滲ませた声で私に言葉を返し、今に至るまでそれは私の愚行を抉る寸鉄となっている。幾ら寝ていない当直でラリっていた状況とはいっても私の発言はやはり許されざるものであり、同じく寝ずに看病していた看護師さんにはその言葉を発する正当な権利が有った。
長々と今日の表題に関係ない話を連ねてしまい申し訳ないが、そういう傷を抱えている私という一個の愚かな人間として、あらゆる政治的立場の相違を超えて安倍元総理の暗殺事件から国葬の儀に至る世の中の数多の言説にずっとモヤモヤした感情を抱いていたのは否めない。決して好感情を持っていなかった患者さんであっても、もしかして自分が医療者として力を尽くせなかった後悔があったとしても、亡くなった方には静かに手を合わせてご冥福を祈り病院から送り出す、自分はあの看護師さんからあの時に厳しく教えられた「人として大事なもの」を尊重したいし、国葬の儀で黙祷の時間に鳴り物を鳴らして人々の追悼の念を邪魔したような人や、あれは所詮広告代理店の演出なんだと偽りの言葉を発して公の場で貶めようとした人には、そういう自由をも尊重しつつ私自身は絶対なりたくないと思う。人が亡くなるという厳粛な瞬間を笑って汚したあの時の自分が今でも許せないのでね。
今日の野田元総理の追悼演説、私は仕事だったので後からWEBニュースで全文を読んだが、菅前総理の国葬儀での弔辞と同じく、一国の総理大臣という重責を担った方にしかとても発し得ない、誠に知情溢れる素晴らしい追悼文だった。私ゃ恥ずかしながら涙と嗚咽を禁じ得なかったよ。社会的立場、身分、教育、ジェンダー、人種、もうそういった数限りない人間の一人一人異なる属性を超えて、政治的打算とか計算とか全てを超越して真に心の底から紡ぎ出したに違いない、あのような弔辞を述べられる大人になりたい、素直にそう思ってしまった。