Blog黒田院長のブログ

2022.03.16

028 宣告

今日聴いていた音楽
「アルデバラン」 Ai 他

 長いような短いような、この仕事を始めて三十年以上がもう経ってしまった。
これだけの時間が経って「私がおじさんになっても」、私は未だに死に瀕する患者さんへの宣告態度を優柔不断にも決められないでいる。
 私が医者になった頃は、癌の宣告など命を左右する状況で本当の事を言うのはどちらかと言えばタブー視されていた時代だった。こんなんでこの人を騙せるのかなぁ、と疑問に思いつつも「ん〜胃潰瘍だけどちょっと手術しないと駄目かもね〜」なんてムンテラ(患者さんやご家族への説明)をしていたのだ。世は情報化社会となり、胃潰瘍なんて今どき薬で治るよ、手術なんてしないよ、そういう事実が一般的に浸透するのと並行して、更には情けないがこっちの方が大きな事情として医療訴訟のリスク回避にも、我々は白い嘘をつけなくなって現在に至るが、これって医療側が嘘をつく精神的負担を患者さんやご家族に負わせるだけではないか、と思わざるを得ない時も有る。
 ことほどさように目の前の患者さんへ死の宣告に近い説明をする時、何が正解なのかまだ私には答えを出せないでいるが、せめて自分の中でのガイドラインとしてはご本人の死生観に寄り添えればというか、そう志向した話し方をしたいと思う。この人は天涯孤独でもう命に執着も無いのか、まだまだ孫の結婚式までは生きていたいのか、子供が小さいのに死ぬわけにはいかない若い母親なのか、ああ、ひょっとして全部分かっていて医者の嘘に付き合ってくれてるのかなとか、もう百人の患者さんが居れば百通りの解があって、映画「マトリックス」に出て来たキーメイカーのように鍵と鍵穴がピッタリ合わないと正解は出せないのだ。
 ロシアがウクライナに攻め入って数週間経つが、この頃目につく論調、平和な日本からウクライナの人々に向けて「降伏して一旦国を捨てて再建を待つべき」とか逆に「いやいや、ウクライナ人は最後まで戦え」という両極端な言説を吐く人々は、一体どれだけ傲慢な思考の持ち主なのだろうと感じる。
 人間の死生観は様々であり、ウクライナに4,000万人の人口が有るなら4,000万通りの人生選択が有る。ミサイルが怖くて(当たり前だ)ポーランドへ逃げるのも国土に残って戦うのも、どちらが本人にとって納得出来る安らかな死を迎えられるのかは誰にも分からない。そんな答えの出ない極限状況下に居るウクライナ人の選択を、毎日家族と我が家で鱈腹美味しいご飯を食べられて、戦闘機や砲弾の爆音に晒される心配も無くグッスリ眠れる場所に居ながら上から目線の癌告知みたいに語るのは絶対に間違っていると思うし、少なくとも自分の尺度では、そんな薄っぺらくて恥ずかしい人間になりたく無いものだ。