Blog黒田院長のブログ
2021.11.11
- 024 再び、コロナ鬱について
今日聴いていた音楽
Diana Krall ‘Desperado’他今更ながら白状するが、私はそんなに勉強が好きじゃなかった。何とか医者になれたんだから全く駄目では無かったと思うが、一日の長い仕事が終わり、そこから酒を飲みに行くか論文を一編でも読むかの二者択一なら躊躇なく飲みに行く方を選んだ。大学に残って偉くなる先生たちは、私が酒精で脳細胞を痛めつけている間も研究をし、論文を読み、医学的真実を極めようと真摯に努力をされていた。ローマは一日にしてならず、である。
当然の流れとして私は大学に残らず残れず、自分の身の丈に合った人生を選んだが、そんな私であっても大学病院にいた頃は一通り研究もして論文も拙いとは言え書いたから、最低限の科学的素養は身に付けていると自分では思いたい。そういう人間にとってのあくまでも私見であるが、科学分野の中でも特に医学研究と言うのは、最初は全て曖昧な結論しか導き得ないものだと考える。或る仮説を立て、それを立証出来る実験モデルを構築して地道にデータを取り、常に仮説と合致するか照らし合わせて検証する。実験データが正しく出ればその仮説は科学的に正しいかもしれない、出なければ仮説か実験モデルか得られたデータかの誤りを探し、という果てしない検証の時間が続く。そんなプロセスを経て生み出された学説から、さらに専門家の集合知で侃侃諤諤の議論、淘汰、濾過を経て一つの定説に至る、その過程も含めて科学的姿勢なんではなかろうかと。端的に言えばその合意形成のプロセスには時間がかかるのだ。
幸い今般の収束傾向を受けて大分人心も落ち着いた様でご同慶の至りだが、以前当院を訪れる患者でコロナ鬱としか思えない人々が増えているという話を書いた。私のところは一般内科であるから精神神経科の患者さんが多く訪れるわけではないが、それでも今年の夏頃は正直対応に忙殺されるほど多かった。特徴的だったのは、60代以降の高齢者の不安感がとても強かったと言うことだ。もちろん私の所のような一般内科に若年者の鬱患者が訪れる事はそうそう無いので年齢的バイアスがかかっているのは確かだが、それにしても、そのような多くの患者がほぼ例外なく自らの感じている不安の根本を「テレビで言ってたから」「テレビでどこそこの先生が言っていたから」などと言われていたのは私にはとても偶然とは思えない。
詳細な検証のプロセスを経ず立証もされていない曖昧な科学的根拠を振りかざし、デマゴーグに近いような論説を弄してヒステリックにコロナの恐怖を吹聴し、中にはあろう事か人々の不安につけ込んで自らの政治的立場に有利な方向へ誘導しようとしたテレビの中の彼ら彼女らは、ここまでコロナ感染が収まっても決して自分たちが過激で極端な言動で世の人々を扇動した責任を取ろうとはしないし、そもそもそんな責任すら自覚しない。そりゃいかなる犯罪行為が成立するわけでも無いからね。「このままでは1ヶ月後、東京はニューヨークに、ロンドンになる」だの「国民全員にPCR検査をすべきだ」などと机を叩かんばかりに叫んでいた人々は今、何を語るのか。
今後コロナの新たな波が来れば「それ見たことか」と水を得た魚の様に生き生きと語り、幸いコロナ騒ぎのほとぼりが冷めれば何も無かったかの如く口を拭ってまた新しい食い扶持を探すだけのそんな連中の言説をなぜ信用し、惑わされて不安に押しつぶされなきゃいけないのか。私は不安で居ても立ってもいられない患者さんたちに再度問いかけたいと思う。「貴方の不安は何処から来るのですか?」