Blog黒田院長のブログ
2021.05.26
- 019 天麩羅蕎麦
今日聴いていた音楽
One more time, one more chance
‘Belie’ 中森明菜 他
今日は綺麗事を、断固として綺麗事を書く。
医者になって一年目、内科の研修医として病院に配属され、初めて受け持った患者さんの事だ。しばしの間、オジさん医者が追憶に浸るのをお許し願いたい。
毎年五月の国家試験で合格し、晴れて医者として世に立っていけるようになった所で、実態はと言えば点滴一つ採血一つ満足に出来ない、有能なソルジャーにもなれぬヒヨコが一人増えただけの事。勿論ベテランの指導医が指示する通りに動くだけであったにせよ、三十数年経った今でも名前まで覚えているその患者さんが生まれて初めて受け持つ「自分の患者さん」だった。その人は元々医者嫌いで少々具合が悪くても病院にかかろうとしなかったらしく、肝細胞癌が進行して癌性腹水が溜まった、いわゆる末期状態で担ぎ込まれて入院になった。新潟から出稼ぎに上京し、兄弟は居たが既に縁は切れていて見舞いに現れる人とて無かった。
もういよいよ状態が悪くなり、明日をも知れないという朝の回診時、何か食べたいものはないかと聞くと、人生のつまらなさ苦さを奥歯で噛む潰すごとく無表情でまったく笑わなかったその人がニコッと笑い、「天麩羅蕎麦が食べたい」、と言ったのだ。後から思えばその笑顔は、彼が私に見せた最初で最後の笑顔だった。私はその一言をもっと真剣に受け止めるべきだったのに、研修の忙しさを言い訳に紛らせてしまった。彼の容態は数日後に悪化し、見送る家族とて居ないまま永眠された。私さえあの時きちんと応対していれば、せめて最期に天麩羅蕎麦を食べさせてあげることが出来たのだが。
今でもその時の笑顔を時折思いだすことがあって、解決を先送りにして蕎麦を食べさせてあげられなくなってやしないかと自戒しきりである。なんてまあこういうカッコ良い事ぁ、文章だったら幾らでも書けるのだけどね、まったく。現実には他の事に気を取られたり自分の感情に囚われ過ぎたり、歳をとればとるほどここ一発の瞬発力が無くなって目の前のこの人にかける言葉、どんなのが私の食わせられる美味しい蕎麦なのか分からなくなる。老いるというのはこういう事なのだ、なんて自分に言い訳するのも正直、情け無いねぇ。iPadから送信