Blog黒田院長のブログ
2019.10.05
- 001 元気が出る料理人さんの話
ホームページのリニューアルに伴い、健康についてのよしなし事を書き連ねて行こうと思う。正直言ってかなり下らない話が多いやも知れず、個人クリニックのブログに有るようなお役立ち情報には乏しいかもなのだ。初回は、とにかくその人と会っているとこっちの元気がもりもりと湧いて出て来ちゃうという料理人さんについて書こう。
Yさんは鹿児島の人である。東京で相撲の呼び出しをやっておられた縁で相撲部屋に入り、ちゃんこ料理を作り出したのが庖丁人になるきっかけだったというから面白い。恐らくそれからというもの徹底的な修業をされたのであろうが、苦労を自ら語るようなことは一切されないのであった。お世話になった先代のお店を名前と一緒に継ぎ、鹿児島の市内でちゃんこ料理屋を開いておられる。階上、階下を合わせても10人も入れば満員になるような小体な店で、構え全体が何となく傾いているような、正直なところ最初に連れていって貰ったときにはどこぞの海の家かと思ったくらいだ。 初対面の挨拶もそこそこに、客が二組も入れば一杯になる八畳程の二階の座敷に通された。鹿児島だからやっぱり芋焼酎で乾杯をし、突き出しの肝豆腐に手をつけた瞬間に今日はとんでもないことになるだろうと実感した。後でYさんと一緒に飲みながら聞いた話ではこの品一つにとてつもなく手間がかかっていたのだが、複雑で精緻でエラク旨くてそうそう簡単には全貌が現れないのだった。その時の連れは気の合った男同士、三人で馬鹿話に花を咲かせつつゆるゆると焼酎を飲むうちに料理が進んでいった。酒盗が出る、ウニが出る、ヒラメもタイも聞いた事も無い南国の魚も、刺し身に手厚く仕事がされてことごとく舌を楽しませてくれ、驚かせてくれた。食わせてくれるものはそりゃもう一品一品が只者では無いのだ。そして腹に一心地ついた頃にちゃんこが鍋一杯出て来た。それまでちゃんこ鍋ってのはお相撲さんが作るやたら塩気の強いごった煮程度の認識しか無かったが、汁を手皿にとり、一口含んでもうこれは絶句してしまった。同行の二人が面白がるほどに無口になってしまったのだ。旨いとか何とか生意気な事を口にするのが笑止の沙汰であるくらいの滋味であった。初めは私の反応を笑っていた連れの二人も後からそれを口にすると同じく無口になり、旨い旨いと念仏のようにつぶやきながらガサリガサリと口の中に放り込み出し、アラだのたっぷりの野菜だの油揚げだの、御馳走のたっぷり詰まった鍋はあっという間に汁一滴残さず空っぽになった。まさしく鍋の底までこそげとって漁る始末で、三人顔を見合わせてあまりに綺麗に平らげたのに笑いあった位であった。全て綺麗に平らげた後二色粥が椀に盛られて供され、これがまた生米から梅につけたというほんのりした桜色が上品な逸品であり、食う程に酔う程に三人とも益々笑いあい、肩をたたき合い、そのうち一人なぞは表の芝生に出ていったきり、夏の頃で昼間の余熱が残った噴水の石畳が気持ち良いと言って寝込んでしまうくらい酔っ払ってしまった。 一段落してから一同で階下に降りた。残っていた客は我々だけで、かかってくる電話も断っていたところを見ると我々のためにYさんも店じまいにして付き合ってくれたのだ。外で寝ている奴を放っておいてまた階下で酒宴を始めた。とにもかくにも料理のお礼を申し述べ、一つ一つの皿について説明してもらったが、何よりもまずあのスープだ。我々が鍋の底まですするように飲み干したあのスープだ。綺麗に飲んでくれたと我が子を慈しむように喜んでくれていたが、そりゃそうですよあれだけ美味しけりゃ。何せどこぞの社長さんが、このスープを幾らでも良いから売って欲しいと目の前に札束を積み上げたと言うくらいのものだ。店の規模をこれ以上大きくしてしまうと自分の味が出せないのだ、この味だけは誰にも任せられんと御本人も言っていたが、その通りだろう。直情にして多感、正に作る人の人柄がそのままに立ち現れているような素晴らしい味だった。 しばらくして、Yさんが店を新しくしたという知らせが届いた。何か新規開店のお祝いをと思ったら店の入り口に飾る千社札が欲しいと言われたので、店名の入った少し大きめのものを作ってもらってお届けした。折り返し鹿児島弁でお礼の電話を頂いたが、電話の向こうでとても喜んでおられる様子がストレートに伝わってこっちまで嬉しくなるような電話だった。それから数ヶ月後、新装なったお店に伺う機会があって、木の香もかぐわしい新築のお店でまた痛快な一夜を過ごしたものだ。食べると健康になる食事、会うと元気の出る人、職業こそ違え、人を相手にする仕事であればすべからくそうありたいものだと思う。